こんな題名の本があります。手術をして間もない頃に買った本です。
5年前に病気をしてから「命」について考えることも多くなりました。
本棚の奥に収まっているのを思い出して病院へ持っていきました。点滴の終わるのを待つ間に待合室の椅子で読み返しました。
引用ですが…、こんな内容の記述がありました。要約です。
≪昔の「日本のサムライ」があれほど潔く情熱的に生きられたのは「自分はいつかは死ぬ身かもしれない」という事実から目を逸らさずに「この命を何に使おうか」と日々心身を鍛えていたからです。彼らは死を恐れることなくしっかりと命を見つめていたのです≫。
何と素晴らしい生き方かと思いました。
人間は明日のことは分かりません。命の終わりも見えません。
奢ることなく威張ることなく自分に誠実に生きてこそが「武士(もののふ)」の生き方です。
限られた命の使い方をしっかりと見つめて生きた「日本人の心」は今も脈々と受け継がれています。
もう一つ…、こんな話もあります。
東日本大震災の津波で町全体を流された場所を訪れた人たちが町の人たちから暖かいもてなしを受けました。
みんなの明るい笑顔に「どうしてそんなに早く立ち直れたのですか」と尋ねました。
その人の笑顔が一瞬止まりました。そして…、「立ち直っていると思う?」言葉がでません。
後でその人も家と家族を失って哀しみに打ちひしがれていたと聞きました。
そんな悲しい気持ちを抑えてみんなが笑顔を絶やさず明るい心を忘れないでもてなしてくれた人たちに胸を打たれたとあります。
そこにあるのは残された人に対する優しい「思いやりの心」と「おもてなしの心」です。
この二つの話には何の脈絡もありませんが何れも「命の大切さ」を教えています。
生かされている者が与えられた命を精一杯に生きてこそ命を失った人たちが報われます。
娘夫婦の生活はまだ元に戻りません。母を亡くした祐次君は悲しむ間もなく葬儀の後始末と「49日」の準備にと時間に追い立てられています。
何かできることがあればと二人に申し出てはいますが私たちが役に立つことは黙って見守ることだけです。